向き合うということ
ご無沙汰しており申し訳ありません。
預かりっ子のことも紹介していかないといけないのにごめんなさい。
ご心配をおかけしてしまうと思い何度も書こう書こう・・・としておりましたが、
なかなか書けず終いでした。

こはくの写真をまとめてみたり、
キーホルダー作ってみたり・・・
自分なりにではありますが、なんとか「こはくの死」と向き合おうとしています。
大人になってしまうと逆に傷つくのが怖くて口にできなくなってしまったりもして、
随分とわたしも不器用になってしまいました。

こはは幸せだったと思うよ
〇〇さんちのコになれて良かったって思ってるよ
いろんな方にそう言っていただいております。
まわりにそういう風に見えていたんだなと嬉しく思います。
きっとこはくもそう思ってくれていると思っています。
だけど、どうしてもどうしても、今はぬぐい切れないのです。
あの子はほんとはもっと生きたかったのではないだろうか
わたしはあの子の寿命を縮めてしまったのではないだろうか
預かりっ子のことばかりでちゃんと見れていなかったのではないだろうか
もっと早くに気づけていれば・・・
俗にいう『後悔』
そう考えてはいけない、こははきっとそんなことは思っていない
それも分かっています。
でもその思いを許せるようになるのは、こはく本人の言葉か、自分でしかないのです。
自分が自分を許せないでいるのです。

まさか自分がこんな風に引きずるとも思っていませんでした。
もねちゃんの時は、我が子に迎えた時から看取り覚悟だったし、
初めから介護でのスタートで、常にどこかに別れを意識しながらちゃんと向き合えていました。
だからか見送った時は、やけに納得がいき、一切後悔もなかったのです。
これで、もねちゃんがなんかわたしに文句あるならびっくりするわーっていうくらい(笑)
でも、こはは違う。全然違う。
全てにおいて油断していました。
入院した時も元気になるもんだと思ってた。

突然、わたしの前からこはが居なくなって、
全然心が追い付いていかなくて、
元気なんだけど、感情の起伏がとても激しくて、
人と会いたくなくなったり、やる気を失ってしまったり、
閉じこもってしまったり、こんなんじゃだめだーと思う自分もいたり。
友人がそんなわたしを見て「ちゃんと悲しみと向き合ってるね」と言ってくれました。
一番しっくりきました。
ペットロスになることは、わたしは悪いことではないと思っています。
わたしの場合のペットロスはネガティブなんじゃなくて、
上手な言い方ができませんが、またいつかちゃんと前を向くためのどん底。
受け入れ方や、立ち上がり方には人それぞれのペースや向き合い方があって、
こはに対してはわたしはとってもとってもスローなんだと思います。
後悔するだけして、それでも変わらない今をたたきつけられて、
こははもう帰ってこない現実を自分のせいにしてみたり、
それでも自分で自分を励ましたり、こはにとてつもなく会いたくなったり、
ネガティブな自分と進もうとする自分とを戦わせたりしながら、
そうやってゆっくり時間をかけて向き合って、
少しずつ自分を許していけるのだと思っています。

21日に初七日を迎えました。
わたしは相変わらず止まったままです。
でも今はこれでいいと思っています。
ちゃんと向き合おうとしていることなんだと思っています。
こはくは簡単に乗り越えられるほどの、存在ではなかったのだから。
こはくのことを、いつかはちゃんと綴ろうと思っていますが、
正直いつになるか分かりません。
自分の中で自分を許せる時が来たら、ちゃんとこはくの舞台に幕を下ろします。
こはくの生きた証をちゃんと残そうと思います。
今は「こはく」と言葉にするだけで、
喉の奥がぎゅーーーっと痛むのです。
毎日毎日、こはの姿を探してしまうのです。

こはちゃん、あなたは笑顔でいてね。
笑っていてね。
お願いね。